やらなきゃどうせ夢となる
夢と言うほど人に誇れず、挑戦と言うほど大変なものではないけれど、やってみたいなというものが沢山ある。
夏は海でマリンスポーツ。
BBQとかサーフィンなんかもやってみたい。
一日引きこもってゲームも良いな。
美味しい焼肉を食べにも行きたい。
こういうやりたい、やってみたいは人それぞれに少なからずあると思う。
でもこれらをやることに対して夢と言うほど大層なものだとは思ってない。
スポーツ選手になる!とか
歌手になる!とか
世界一周をする!はきっと夢なのだろう。
しかしこういう凄そうな夢と美味い焼肉食べる!にどこまでの違いがあるのだろう?
貧困に悩む人からしたら美味い焼肉を食べたいは夢かもしれない。
美味い焼肉が食べたい!が日常になる時、夢と言うほどじゃないけどやりたいことになるのかもしれない。
きっと私に取って夢と言えないけどやってみたいことは、いつでもできることなのだ。
やろうと思えばいつでもできる。
これがやってみたいが夢と言えない本質だろう。
要は難易度の問題だ。
やってみたいことがあるのは、きっと恵まれてるのだろう。
環境・能力・金銭等。
なにかが著しく欠けていれば、やってみたい事はできない事になり、やってみようは挑戦になって難易度が跳ね上がる。
やってみたいと思ってる内はきっと簡単にできる事だからやっておいて得だとここまで書いて気がついた。
多分何も考えずにできる。
やってみたい事がたくさんあるのは恵まれている。
どんどんやろう。
どうせ老いてできない事が増えるのだから。
ガチャが俺を何度でもよみがえらせる
長年やってるスマホゲームでグランブルーファンタジー(以下グラブル)がある。
もう3〜4年は毎日やってるだろう。
先日書いたブログで俺はスマホゲームはガチャを引くためにやってる言った。
しかしこのくらい長期間やるとクリアしてないクエストが少ない。
それすなわちガチャ石を取得する機会が初めてやるスマホゲームよりも少ないことを指す。
最近始めたドルフィンウェーブは未クリアクエストをこなすことで、リリース3日で100連は引いている。
そこそこ当たりも出て私はこのゲームを楽しめていると言える。
しかしグラブルは難易度の高いクエストかイベント、もしくは運営からの配布でしかガチャ石は得られない。
高難度のクエストをクリアしたところでガチャ石は50個程。
イベント開催時期に合わせてガチャ石を回収したところで数日で10連も引けないだろう。
ガチャを引くことがスマホゲームで一番楽しい。
長年のゲームプレイによりガチャを引きづらくなってきたグラブルは、ガチャを楽しみとする目的を持つ私がやる必要はないのではないかか…
皆さんは思うかもしれない。
ドルフィンウェーブのような新しいゲームでたくさんのガチャ石を手に入れて、ガチャを引いた方がより楽しめるのでは…
答えは否である。
ガチャ石が手に入りづらくなる。
これは私に取ってガチャをより楽しむためのスパイスなのだ。
求めたことが簡単にできる。これは確かにモチベーションを上げるには効果的だ。
事実、私はドルフィンウェーブを高いモチベで楽しんでいる。
しかしお預けを食らった方が手に入れた時の喜びがより格別なものになる。
仕事終わりのビールのうまさは、強制的な禁酒期間とビールを想う時間の掛け算により爆発的な快楽を生み出す。
中々集まらない期間、ガチャを引きたい欲望この二つを乗り越え、ようやく引くことができた時の達成感。
さらに欲しいキャラが出た時には最高だ。
排出率2倍期間にssr率が下回り打ちのめされるのも一興だ。
しかしようやく手に入れたチャンスをものにできようものならば、飽きてモチベも下がった私を何度でも甦らせるのだ。
私をよみがえせるのは、魅力的なキャラでも環境破壊キャラでもない。
ガチャなのだ。
ガチャを引く そのためだけに プレイする
今日リリースされたドルフィンウェーブというスマホゲームを始めた。
ゲームの説明は省きます。
紹介もしません。
なぜなら私はガチャを引くためにスマホゲームをしてるのであって、内容にはさほど興味はないからです。
多少女の子が可愛いなと思うくらい。
さて、私はスマホゲームを3種類やっている。
これら全てに共通するのは一つ。
ガチャを引いている時が一番楽しい。
これに限る。
内容がどんなに優れていようとガチャが搭載されているスマホゲームは一番楽しいのはガチャであると断言できる。
私はガチャを引くためだけにこれらのスマホゲームをしている。
ガチャ引くための石がもらえるクエスト優先してクリアし、そのクエストをクリアするためにキャラを育てる。
ゲームで遊べるストーリーやクエストは全てガチャ引くための手段なのだ。
ここで皆さんは思うだろう。
そんなにガチャを引きたければ課金すればいいと。
だが考えてみてほしい。
子供の頃、少ないお小遣い貯めて買ったゲームは楽しかったはず。
クリア諦めず、頑張ってクリアした時の喜びはかけがえのないものだったはず。
しかし大人になって買ったゲームはどうだ?
その辺の棚の奥底で積んでるものもあるんじゃないか?
簡単に手に入るものから得られる快楽なんてそんなものなのだ。
だからこそ金は使わない。
ならば何を差し出そう?
時間だ。
時間と労力をかけて溜め込んだ石を当たるかどうかわからないギャンブルにつぎ込み、当たった時の快楽といったら…もうたまらない。
私は金を賭けたギャンブルはやらないが、きっと原理は同じことだろう。
大切な金が無くなるかどうかの瀬戸際。
一瞬で紙切れが万札に変わるスリル。
これはその人の人生が追い込まれていれば追い込まれてるほど脳みそから分泌される快楽は激しいはず。
ここまで書いておいて、私がやってることはそんなに大層なものではないと気がつく。
所詮は時間を無駄にして、費やした時間を当たりという快楽で見返りをもらってるだけなのだ。
賢い人から見たらさぞ愚かなことだろう。
しかし金を紙切れにするよりも賢いんじゃないかと考えてしまうのは、ギャンブラーを下に見てあいつよりマシだと自惚れてるだけで自尊心を傷つけたくないがための防衛本能のようなものだろう。
ぶっちゃけ金を使うか時間を使うかでそう大差ないが…私は今日もガチャ引くためにスマホゲームのクエストをこなすのだ。