ガチャを引く そのためだけに プレイする
今日リリースされたドルフィンウェーブというスマホゲームを始めた。
ゲームの説明は省きます。
紹介もしません。
なぜなら私はガチャを引くためにスマホゲームをしてるのであって、内容にはさほど興味はないからです。
多少女の子が可愛いなと思うくらい。
さて、私はスマホゲームを3種類やっている。
これら全てに共通するのは一つ。
ガチャを引いている時が一番楽しい。
これに限る。
内容がどんなに優れていようとガチャが搭載されているスマホゲームは一番楽しいのはガチャであると断言できる。
私はガチャを引くためだけにこれらのスマホゲームをしている。
ガチャ引くための石がもらえるクエスト優先してクリアし、そのクエストをクリアするためにキャラを育てる。
ゲームで遊べるストーリーやクエストは全てガチャ引くための手段なのだ。
ここで皆さんは思うだろう。
そんなにガチャを引きたければ課金すればいいと。
だが考えてみてほしい。
子供の頃、少ないお小遣い貯めて買ったゲームは楽しかったはず。
クリア諦めず、頑張ってクリアした時の喜びはかけがえのないものだったはず。
しかし大人になって買ったゲームはどうだ?
その辺の棚の奥底で積んでるものもあるんじゃないか?
簡単に手に入るものから得られる快楽なんてそんなものなのだ。
だからこそ金は使わない。
ならば何を差し出そう?
時間だ。
時間と労力をかけて溜め込んだ石を当たるかどうかわからないギャンブルにつぎ込み、当たった時の快楽といったら…もうたまらない。
私は金を賭けたギャンブルはやらないが、きっと原理は同じことだろう。
大切な金が無くなるかどうかの瀬戸際。
一瞬で紙切れが万札に変わるスリル。
これはその人の人生が追い込まれていれば追い込まれてるほど脳みそから分泌される快楽は激しいはず。
ここまで書いておいて、私がやってることはそんなに大層なものではないと気がつく。
所詮は時間を無駄にして、費やした時間を当たりという快楽で見返りをもらってるだけなのだ。
賢い人から見たらさぞ愚かなことだろう。
しかし金を紙切れにするよりも賢いんじゃないかと考えてしまうのは、ギャンブラーを下に見てあいつよりマシだと自惚れてるだけで自尊心を傷つけたくないがための防衛本能のようなものだろう。
ぶっちゃけ金を使うか時間を使うかでそう大差ないが…私は今日もガチャ引くためにスマホゲームのクエストをこなすのだ。