やらなきゃどうせ夢となる
夢と言うほど人に誇れず、挑戦と言うほど大変なものではないけれど、やってみたいなというものが沢山ある。
夏は海でマリンスポーツ。
BBQとかサーフィンなんかもやってみたい。
一日引きこもってゲームも良いな。
美味しい焼肉を食べにも行きたい。
こういうやりたい、やってみたいは人それぞれに少なからずあると思う。
でもこれらをやることに対して夢と言うほど大層なものだとは思ってない。
スポーツ選手になる!とか
歌手になる!とか
世界一周をする!はきっと夢なのだろう。
しかしこういう凄そうな夢と美味い焼肉食べる!にどこまでの違いがあるのだろう?
貧困に悩む人からしたら美味い焼肉を食べたいは夢かもしれない。
美味い焼肉が食べたい!が日常になる時、夢と言うほどじゃないけどやりたいことになるのかもしれない。
きっと私に取って夢と言えないけどやってみたいことは、いつでもできることなのだ。
やろうと思えばいつでもできる。
これがやってみたいが夢と言えない本質だろう。
要は難易度の問題だ。
やってみたいことがあるのは、きっと恵まれてるのだろう。
環境・能力・金銭等。
なにかが著しく欠けていれば、やってみたい事はできない事になり、やってみようは挑戦になって難易度が跳ね上がる。
やってみたいと思ってる内はきっと簡単にできる事だからやっておいて得だとここまで書いて気がついた。
多分何も考えずにできる。
やってみたい事がたくさんあるのは恵まれている。
どんどんやろう。
どうせ老いてできない事が増えるのだから。